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”デジャヴ”を越えて行く!

昨日は朝からひと騒動。”トラブルメーカー”始動(苦笑)でブチ切れ!!!!!この”デジャヴ”を”恒例”にしては行けない。与えられたのは最後のチャンス。

 

それを見事掴み取った!!!!!

 

とは言い難い。

 

しかし”もう次はない”は確実に伝わっただろうし、またそれを”忘れた”となれば、もうそれは”そこまで。”の話。劇団としての答えは出ている。あとは自分がどこまで自身と劇団と仲間を信じて”曝け出せる”か?

 

うまい芝居を求めているわけじゃない。そもそも「うまい芝居」なんて迷子の遊園地の辞書にはない。(ヘタはあるらしい 笑)その事を散々言われてきてもまだ「うまい」を求めている。だから「置きに行く」。しかし「何処にうまいがあるかわからい」(当然です。ないですから)で「迷走」。

 

「コレです」と、明確に”見本”や”答え”を提示してもらえれば簡単。でも、そんな”コピー”を集めて「作品です」としたいわけではない。自身が自ら考えて、模索し、挑戦し、失敗し、”痛み”と”悔しさ”を重ねた後に辿り着いた場所こそが””求めて来た場所”なのだ。仮にそこが”全くの新天地”ではないとしても、自ら・・・そこが大切なのだ!!!!!


と、まぁ、こんな話も”デジャヴ”(笑)


本番を前にして”個人の問題”などは存在しない。全ては”チームの問題”である。解決策は個人の中にはない。チームの中にある。つまり最小単位は”チーム”なのだ。だから「自ら・・・」それは個人個人ではない。個人の内側に”進む方向”が見えなくても怯える事はない。独りではない。

 

我々は迷子の遊園地。メンドクサイ者であり、劇団だ。
 

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壊してこそ

時に観る側に”強いる”舞台がある。内容も、演出も、劇場空間も、決して”お気軽に”などではない。セリフのみでは解読できない物語と感情。身動きも呼吸も瞬きさえも許されないような緊張。当然にその客席に座るには覚悟が求められ、役者が演技をするという行為に対しての技術が必要なのように観客にもまた観るという行為に対しての技術が求められる。

 

先日観た「ドグラ・マグラ」もそうだったと言える。

 

そういう舞台が僕は好きだ。映画はそうでもない。ポップコーンとコーラを楽しみながら・・・と言うような作品も好きだ。だが舞台はそうではない。観せる側、観る側の間にある種の”闘い”が存在し、互いに”試されている”という緊張感。それがあってこそ舞台作品。それは原点であり、目指すべきものである。

 

とは言え、それが”苦手”という人も当然存在する。むしろこちらの方が多数であり、だから「お客を増やしたい」のであれば、”強いる事ない作品”を選択する事は理解できる。分母が大きい方を選択するのは常套手段だ。

 

しかし、僕にとっての舞台が”強いる作品”である以上、そうでないモノは舞台でも演劇でもない。仮に【”強いる”事ない作品にすることが近道】を選んで、集客力アップしてもそれに対して喜びようがないのである。

 

もちろん自らの思う舞台作品で観客が増えることは望んでいる。だから必要な情報は発信するし、ネット頼りの広報はしない。手間も暇もかけ、汗もかく。でもノベルティーなど作らない。チケットの値段も下げない。何かで釣ったり、自らその価値を下げるような提示はしない。名が通った者ならばそれは”特典”にもなるだろう。しかし”未だ成し遂げていない者”がそれに手を出したら「これ以上、作品力ではどうにもならない」という宣言のように思う。集客ー何はともかく”作品に完成度”だと思っている。突きつめて突きつめて突きつめて突きつめて突きつめて・・・真に力を持った作品は、観る者の趣味趣向を、理屈を越えて受け入れられるもの。真に感動をすれば人は誰かに話したくなるものである。

 

”間口は狭い”と理解しているが、その上で多くの人に観てもらい。多くの人に酷評され、絶賛されたい!

 

「この街では・・・」と、口にするくらいなら、迷うことなどない”この街”なんて捨てればいい。
「アマチュアでは・・・」と、口にするくらいなら、迷うことなどない”アマチュア”なんて捨てればいい。

 

迷子の遊園地は「劇団」であり、それを主宰する僕は「演劇人」だ。「馬鹿だ!」と笑われてナンボ。”固定概念”を壊してこそ存在意義があると言うものだ。

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『ドグラ・マグラ』体験−終わらない舞台

「自分と言う存在が一番理解できない存在」と言うと少々陳腐だけど、それはやはりそうなのだと思う。

 

「私」それは「他人」に認知されてこそ存在する。「自身」は「私」が他人の内に存在している事を認知しようやく「私」を実感する事ができる。だから自己完結では「私」は成り立たず、生きている意義を見出すことなど出来るはずもない。「孤独」とは「私の不在状態」の事なのだろう。


「役者」という存在。「観客」という存在。も同じだろう。「役者」は「観客」、「観客」は「役者」に認知されることでその存在が明らかになる。もちろん「演劇」自体もそうだ。要するにこの世の全てがそうだ!存在が自己完結するなどない。であるから、僕と言う「自身」は今、「私の不在状態」にはないと同時に誰かしらを「私の不在状態」にしない存在となっていて、決して楽しい事ばかりではないが「幸福」な事だと断言できる。


演劇企画集団THE・ガジラ年間WS公演『ドグラ・マグラ』を観て、そんなことを思った。けれど、それは客席で考えていたことではない。むしろ客席では何も考えていない。ただただ目の前の世界に入り込んでいただけ。一瞬「これ以上、入り込んだら出られなくなる」というこれまでにない感覚を持ったほどに入り込んでいただけ。その時に体験した言葉、息づかい、蝋燭の灯、振り子時計の音・・・etc.が頭や腹の中でぐるぐると廻り、観劇後17時間経過した頃に不意に上記のような思いを形成した。僕の中に確実に『ドグラ・マグラ』が残っていて、きっとこの先も何かの拍子に何かを形成するのだろう。それは今回の思いとは全く異なるものかもしれない。いや、異なるものだろう。それが生まれた時に僕はそこに「正解か否か」ではなく、「私」の新たな断片を見てワクワクするのだろう。そして、そのすぐ後で「やられた!まだ続いていやがる、『ドグラ・マグラ』!」と出逢ってしまった不運と幸運に浸るのだろう。

 

僕が「お客にこんな思いをさせたい!体験させたい!」と言う事を、僕がお客として体験できた・・・本当にいい舞台でした。

 


書きながら、続きが湧いてきたので・・・それ↓


「私とは何者で、なぜ存在するのか?」と言う自問は思春期固有のものではない。はじめてこの自問をした時が自我の目覚めであり、そこからありとあらゆる人や物に触れて、抱えて、壊して、また触れて・・・と繰り返し「私」の断片を集めて行く。そこにはおおよそ誰しも何かしらの「欠落」が存在しているが、一方でそうと気付かない事も多々あると思う。そもそも「何が完成形なのか?」それを知らないからだ。だから「欠落」があると断言はできず、収集した「私」を認めたくないだけで「ないものねだり」の範疇かもしれない。しかし「完成形」を知らない以上、それもまた断言できるはずもない。「不安」とは「欠落の有無の不明」の事なのだろう。

 

生きて行くとは「孤独」と「不安」の中にいる状態で、そこから「抜け出したい」と足掻く事なのだろう。

 

それなのに!ここ数年間で出逢った者の中には「私」を「自身の中」のみに求め、見出し、「孤独」と「不安」を遠ざける事に必死になっている者が少なくない。初めて目にし、触れているのだから「出来ない私」「わからない私」とは当たり前に出逢うにも関わらず、それらの「私」を認めようとはしないで「自身の中」でのみ消化しようとする。なので一向に「出来る私」「わかる私」には近づく事が出来ず、その果てに「此処は自分の求めてる場所ではない」「それは自分の考えているものとは違う」と安易に納得できそうな理由を持ち出す。

 

それはそれで、「孤独」と「不安」の中にいる状態で、そこから「抜け出したい」と足掻いている姿なのかもしれない。それでも、どうしても違和感がある。そして、それを「処世術」だと信じさせてしまった「自身」の周りにいる「他人」に憤りを覚える。以前、僕の作品を観劇した方に「憤り、怒りが創作のエネルギーなんですね」と言われた事があるが、劇団を持ち続ける事もそうなのかもしれない。いや、以前は決してそんなことを思っていたわけではないが、ここ数年は「私」として自覚して始めているのだろう。だから「出来ない私」「わからない私」をどうにかして認めてもらいたいと、僕も足掻く。

 

「孤独」と「不安」の中にいる「迷い子」たちが集まって来る。まさに「迷子の遊園地」。まさに類は友を呼ぶ。放っておけるはずもない。その出逢いが劇的な変化に繋がるかどうかは誰にもわからない。わからないが出逢った瞬間に「私の不在状態」に変化が生まれていることは確かで、互いの「私」の断片が一つ増える。それらを繰り返し、僕たちは成長をしてゆく。早いか遅いか・・・速度は問題ではない。年齢も問題ではない。今の「私」を認めたくないだけで「ないものねだり」の範疇と映ろうとも、僕たちは「私」を諦めない。「未完成」だからこそ未来があり、希望を抱く。今度は僕たちが作り手としてお客に体験させる番だ。

 

 

幕が降りても決して終わらない。『ドグラ・マグラ』・・・本当にいい舞台。

 

 

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「ON状態」 このままで

二年前の今日、FBにこんな事を書いていた。

”やる気スイッチ”がまたあったようなので、ONにしてみましたっ!!
出演者、切に募集!!


この二年前の決意が流れを変えたんだね。以来、スイッチは「ON状態」のまま。(もしかしたら壊れているのかもしれない 笑)


この二年で三本の作品を発表して、7月には短編集シリーズの「回転木馬の残光」をスタートさて、秋にも・・・。


この二年で劇団員も六人増え(一人は復帰)、実は近々もう数名増える。はず。その予定。


昔は人が増える度に「仲間が増える」という単純な嬉しさでしかなかったけど、最近は「その人の人生の一部を預かる」的な緊張感をもって向き合っているように思う。それ故に”求めるもの”も変化し、より”ギリギリ”な鬩ぎ合いを求めている。


思えば旗揚げの頃は稽古場以外で劇団員と集まったり、時間を過ごす事がなかった。それが今では夏にはBBQをやったり、秋には新米パーティーやったり、冬にはチキンの会をやったり、一緒に芝居を観に行ったり・・・。


自分がただやりたくて、それだけで始めた事。続けて来た事。でも、いまはそれだけではないのだと実感する。「お前たちの為にやってるんだ」とは思わないが、交わったそれぞれの人生の一部が”それ以外”の部分にもよい流れを生み出すように・・・と思う。何処かではなく此処。『迷子の遊園地』だからこそ味わえるもの、体験できるものを積み重ねそれぞれ”辿り着くべき場所”へ行ければと・・・いや、行く。


ちなみに、迷子の遊園地では今現在も劇団員募集中です。スイッチ「ON状態」ですから。

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出逢いたい

これまでのワークショップ(WS)とは違い"普段の稽古"をそのまま体験してもらう試みとして、4月に全三回で「稽古体験」を実施。初回は入団希望者で仮入団という状況の一名だけでしたが、二回目にはさらに一名加わり、最終回はさらに二名加わりということでなかなか賑やかになりました。

 

基本「少人数」に慣れ親しんできた迷子の遊園地なので現状の劇団員だけでも「多いななぁ」って感じですが、稽古場に10名以上いる状況はちょっとしたパニックでした(笑)

 

WSもそうですがこの手の企画に醍醐味は「出逢い」 演劇へのスタンスや経験値が異なる人たちが集まって一つの課題に取り組む。その中で固定化された自らの考えが浮き彫りになり課題が見えてくる。参加者以上にこちら側の方が「いい経験」をさせてもらっている。劇団員だけで稽古や公演を繰り返しその純度を上げて行く事も大切な事だけれども、内輪だけで通用するモノでその身を固めてはいけない。自分たちが外へと出て行く事も大切だし、こうやって外から招く事も大切だろうと思う。

 

なんて事を書いておきながら、この5月のWSを最後にこの手の企画に終止符を打つ。(矛盾こそ人間の醍醐味 笑)理由は大きく二つある。

 

一つは「僕自身が天邪鬼だから」 ここ数年、演劇に限らずWSという名称をやたらと見る。間口を広げるいい手段だと思う。(実感してます)なので「みんなやるからやらない」というわけです(笑)さらには何処となく「WS=体験会=初心者対象」的意味合いが強くなってきているような気がする。(特にこの街で見るものは)だからそれらの多くは「無料」なのだ。「お試し」「体験」の結果「継続」する者が少しでもいればいいとの思いだろうし、その為には分母を増やす。その為には有料より無料。理解はしつつもそこに抵抗はある。自分たちが時間と情熱を注ぎ込んで手にした者を提供するのに「無料」では「自らその価値を下げるこうなのでは」と。なので迷子の遊園地のWSは「有料」。金額の問題ではなく、そこに金銭を挟むことで講師、参加者双方に覚悟を求め、「ワークショップ」という名に恥じないものを展開してきた自負はある。小銭稼ぎが目的ならもう少し金額を上げてもいいが、それもと違う。なのでここで「ひと休み」して「俗っぽくならない」ようにと・・・。

 

もう一つは「扉は常に開いているから」 WSだ!とわざわざ謳わなくとも想いを持ってコンタクトをしてくれればいつだって受け入れる。いきなりウェブサイトからの問い合わせで「稽古参加させてください」というより、「WSやりますよ」と謳った方が「来やすさ」はある。理解している。現に、WSをやるようになって問い合わせは増えたし、劇団員も増えた。しかし、お膳立てをしないとやって来ない程度の想いなら、結局のところ継続しないとも思う。なのでより強い想いを持った者たちと出逢いたいので、「扉は開けておきますけど、迎えには出ません」ということで・・・。

 

あ、あともう一つ!劇団である以上、やはり作品作りに注力したい!!毎月WSをやるくらいなら年に4回くらいは公演できるだろ!!って感じ。「仲間と募る」であれば、作品を通し「迷子の遊園地で芝居をしたい!」という者と出逢いたい。

 

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短編作品集
【回転木馬の残光 #1】
・2017.7.22
・Pops倶楽部
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