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落とし前、そして演劇のえの字へ

東京公演から一週間。改めてご支援頂いた方、ご来場頂いた方に感謝致します。皆さんひとりひとりの想いと行動がなければ実現する事が出来なかった公演です。そういう意味でも「ひとりでは何もできない」を再認識する公演でした。

 

さて、今回の東京公演ですが、元々は劇団員のモチベーションを上げる為に口にしたに過ぎません。実現できるなんて思ってもいなかった。しかし、口にしてみると自分が一番それを求めている事に気付かされました。どうやら自分が自覚していた以上に「東京」と言う街に強い思いがあったようです。

 

「演劇のえの字」も知らないままあの街へと向かい演劇の世界に身を置き、地に足の付いていない状態で走り続けた結果、「演劇のえの字」を耳にするのも口にするのも嫌になり、生きることが不快に思えたあの街。愛情や信頼を全て裏切ったあの街の最後。その事の"落とし前"をつけないまま、未だに演劇のという世界の片隅を摘んでいる自分。

 

だからなのだと思います。実に内向的な作品になったのは。いま一度、いやあの街ではそこから始める事が必要だった。

 

「これが最後ではなく、これは次の物語への一本目」

 

東京公演最後の開演前に劇団員に向かって発してきた言葉は己に向けたモノ。結局のところいつだってそうだった。「誰とも向かい合っていなかった」のは自分の方。これまでと違うのはあの街での出逢いと言葉は一切”逃げ場”を与えてはくれなかった。その事が苦しくて嬉しくて、この一週間を過ごした。そして、昨日聞かれた。

「青春の落とし前はついた?」

その問いに何迷う事無く答えられた。

公演の翌日の朝、スーツ姿の人々の流れに逆らい駅へ向う中でこの胸に込み上げて来たのは単なる"懐かしさ"だけではない。すれ違ったひとりひとりに、夢や希望、挫折や嘆き…語らなくとも誰しも背負っている「物語」があるのだという当たり前を見た。僕はもう”流れに逆らっているだけで悦に入っていたあの頃の僕”ではない。

 

いま一度?改めて?いや、全くの新しい想いで、背筋を伸ばし、確かな眼差しで、「演劇のえの字」に挑んで行こうと思う。いや、行く。

 

迷子の遊園地 主宰・藤田ヒロシ

 

 


愚かで愛おしい

演劇を始める前、演出家や作家が教育者やカウンセラーの顔してコメンテーターしてるのが嫌いだった。似非な感じがしてたんだと思う。で、いまその似非な感じで僕が(自意識ではなく他者からみれば)人間やアナタを語る。大した人間でもないのに。

 

的外れはある。が、外れない時もあり、精度は上がっている。「まあこれくらいは誰でも」と思ってきたが、そうではないらしいと気付き、考えた。

 

嗚呼、人間を見ている、見続けて来たんだと。

 

親、兄弟、姉妹。上司、部下、同僚。友人、有名人、ライバル。そんなのではなく、人間と言う生物の生態を見てきたんだと。

だから時に自分の中に「冷たさ」を感じるのだと。家族や上司、友人なのにそこを"忖度"しないので相手が「こう言って欲しい」に応えられない。むしろ、その利己的思考を突く。

 

愛されたくて、大人の顔色を伺って、求められる答えを答えとしていた僕は何処にいったのか?何が僕を変えたのか?いや、これが僕で、何かが似非の顔を剥ぎ取ったのか?

 

 

まだまだ人間への興味は尽きない。


演劇?いや、迷子の遊園地を観ろ!

「演劇の楽しさをもっと多く人に知ってもらいたい」的な話は苦手、いや嫌い。特に自身が演劇を代表する度量、実力を持たぬ者のそれは逆効果だと信じている。

 

演劇など無くても楽しい人生は限りなくあり、演劇がないと楽しい人生でない、も限りない人生模様のたったひとつに過ぎない。

自身がそうだからと言って、あなたがそうとは限らない。だから、あなたの楽しい人生を送って欲しいと願う。

 

いつでも、どこでも、何度でも的な時代にあって、この日、この時、この場所に来い!と言う演劇などにハマらない方が楽しい人生ではないだろうか?

 

ただ…今、楽しい人生が送れてないのなら、見えてないのなら、試す価値はある。違った!のならそれはそれ。あなたの人生に必要なものが他にある証。

 

簡単便利の時代とは言え、黙ってじっとしていても何も起きない、降ってはこない。それは不変。

 

「演劇なんて…」その気持ちわかる。

 

が、しかし…想いもよらないものが、自身を変える。それも人生。

 

子供の頃に強制的に見させられた児童劇団やお義理で見たアマチュア劇団が演劇の全てではない。未知に足を踏み入れてこそ、人生は開く。

 

「劇場に足を運ぶは面倒臭い」それもわかる。

 

しかし、面倒臭いでは今が固定されるだけだ。

 

演劇を観なさい!とは言わない。ただ迷子の遊園地 @maigonoyuenchi を観てみなさい!と言う。

面倒臭いだけの人生を楽しくしてみようと今足掻いている者たちが描く、「私」を諦めない物語を観てみなさい!と。


迷子の遊園地 Act25【離々として連々】
2018.10.6(土)7(日)
あそviva!劇


「古い」と笑い飛ばすならそれでもいい

この台本を書き始め、書き終え、手直しをしている間に43歳から一つ歳を重ねた。「44」それは「死と幸せ」人生において避けられないモノと得難いモノが横並ぶ真実と真理の歳……そうありたいと思う。だからの今作。なのだと思う。

 

昭和が終わってから和暦と縁遠くしてきたが、それでも平成の方が付き合いは長い。30年……それは決して短くはないが、自覚としては「昭和の人間」なのである。長さではないのだ。昭和と名付けられた時代に私という人間の根本が出来たからだ。だからこの先40年、新しく名付けられる時代を生きたとしても「昭和の人間」なのであろう。

「終わった時代」と言うならそれでもいいが、「昭和の人間」が書いた「平成最後の年」に贈る物語。それを「古い」と笑い飛ばすならそれでもいいが、観て、知って、体感してからにしろ!!

迷子の遊園地 Act25【離々として連々】
2018.10.6(土)7(日)
あそviva!劇場

 

開演時間
[10/6]20:00 [10/7]13:00/17:00
※開場時間は各30分前 ※上演時間:90分(予定)

 

料金
[前売]一般2500円/学生1000円
[当日]一般3000円/学生1500円
※学生…高校以上/受付にて学生証提示 ※中学生以下の入場不可


指をくわえて東の空を眺めてはいられない

あと11時間‼️お願いします‼️

 

"いま"を生きる事に喘ぐ人々を描く実像劇!「迷子の遊園地」初の東京公演製作支援プロジェクト
https://motion-gallery.net/projects/maigo2018

 

僕自身の事などどうでもいい。散々好きにやって来た。いま死んだら「楽しかった我が人生」と言える。しかし、自分が良ければそれで良いわけではなく、楽しい社会でも、明るい未来でもない。

 

この舞台に一人でも多く"参加"して頂きたい。何故なら政治でも経済でも解決しようとはしない"この時代の問題"に向き合って、生きたい。

 

「大きくなれ!」「"大人"になるな」と言いたい。

「誰かの都合のいい子=自分に都合のわるい子」になるな!と言いたい。

経済の中でしか物事を語れない時代を壊せ!

その時代を継承してしまった世代の"遺言"を聞いてくれ!


名も無き者たちの無謀な挑戦と映ろうとも、指をくわえて東の空を眺めてはいられない。

 

無名だが、無能ではない。

 

 

「誕生日には悪魔がやって来る。狙うはひとりでいる子供。生れた時はひとりではかなったはずなのに、一体いつ独りにこなってしまったのだろう」 迷子の遊園地【離々として連々】https://maigo.link/riri/

 

 


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