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わからない私の告白

当たり間の話だが、私にはわからない事が多い。だから、わかろうとしてみるが、やはりわからない事が多い。それでいい事柄もあるだろうが、それでは駄目と言われる事もある。それでも私にはわからない事だらけだ。

 

それなのに、わかっているフリをする。フリをするならまだいいが聞きかじったもっともらしい事をあたかも自身の探求の結果として語る。さならには、それを聞いた者がそれをうん、うんと頷くのを見て高揚し、また聞きかじった事を自慢げに語る。

 

当たり間の話だが、私にはわかってはいない。だから、わかっている者からすれば、それは透けて見えている。それでいい相手もいるだろうが、それでは嫌な相手もいる。それでも私は透けて見られている。

 

ならもういっそ晒してしまえば、心穏やかに近づく事が出来るだろうか?わからない。わからないが、やってみよう。

 

私は演出がわからない。劇作もわからない。演技だってわからないし、演劇がわかっていないのだ。寺山だって、蜷川だって、唐だって、シェークスピアもチェーホフも、わからない。映画も音楽も全く同じで、わからない。

 

「ウォン・カーウァイを好き」と口にするが、ウォン・カーウァイをわかっていなし「ガンダムを好き」と口にすが、ガンダムをわかってはいない。「チョコレートが好き」と口にすが、チョコレートをわかってはいない。

 

それをカッコい悪いと思って来た。いや、劣等感でありコンプレックスだ。それらをわかっている事が、それを語れる事がカッコ良いと憧れた。だからわかろうとしてみたが、やはりわからなく、憧れは程遠い。

 

「努力が足りない」と指摘する人もいるだろう。「才能がない」と指摘する人もいるだろう。「好きではないからだ」という人もいるだろうが、どれも当たりで、なのにどれも私の心を貫く勢いを持たなかった。

 

勘違いしないでほしい。私が憧れは程遠いのはそれらの言葉が勢いを持たなかったからと言いたいのではない。私が勢いを削ぐ形で聞いて来たからだと思っている。ようするにいつの時も、未だもってわかっていないカッコ悪いままの自分を受け入れないのだ。そんな経験を繋いで来たのだから憧れはいつまでたっても憧れ。遠くに在りて思うものなのだ。

 

なぜだろう?劣等感やコンプレックスの克服へ覚悟と勇気がないのか?わからないという事が劣等感やコンプレックスとなるその世界に入るのが怖いのか?ならば私はずっとその外側で中の様子に聞き耳を立て、聞きたくない事が漏れて来たら離れ、ちょっと調子のいい時だけじっと耳を澄まし、誰もいない廊下で聞きかじったもっともらしい事を一人で熱弁していたということだろうか?

 

なんとも情けないが、どんなに嫌がってもそれが私を作ってきた経験値なのだから認めるしかない。なによりの腑に落ちる。

 

あれ?でも、そもそもどうして中に入らなかったのだ?覚悟と勇気がないから?ではなぜないのだ?愚か者だからか?いや違う、いや愚か者である私は存在するがだから入らなかったとは違う気がする。入る為の何か?あと一つの何かが私は持っていなかった。それは覚悟とか勇気とかそんなものよりもっと根源的なもの。学ぶものでも、教え乞うものでも、与えられるものでもなく、もっと本質的なもの……。不意に襲ってくるようでいて、常にその存在を明らかにする準備があり、その時を待っている。こちらも期待している。そんな衝撃……。

 

感動だ!

 

私にはそれが足りない。それがない!!自らの心の内に得体の知れないうねりが生まれる事がなく、この血を沸騰させてこの身を突き動かす事がない。時間も金銭の惜しみなく注げる事なないのだ。いつだって誰彼の評価ばかりを気にして、例えばドアのノックの仕方、ノブの回し方、ドアの開け方、閉じ方、はじめの一歩の踏み込み方、そんなどうでもいい事ばかり気にして、ずっと結局廊下にいるのだ。感動が劣等感やコンプレックスを吹き飛ばし、気が付けばもう入っているというそんな事が出来ないのだ。

 

思えば、幼い頃から感動による選択はなかった気がする。「鶏肉が好きね」「キュウリが好きね」となぜかそうなっていたしケーキはイチゴのショートケーキとなっていた。だからそう言ってきた。兄が聴いていたからBOØWYを聴き、彼がスポーツ万能だから絵や文を描いたに過ぎない。あそこもあいつもコミカルな作品をやるからシリアスな作品を作ろうとしたに過ぎなし、既成台本をやるからオリジナルにしたに過ぎない。どれもこれも私の選択には感動が存在していないのだ!

 

嗚呼、そうだ!そうに違いない!!私はいま長年にわたりこの心の奥底にじっとでも確実に居座っていた憂鬱の正体を知れた気がする。胸を突く思いとはまさにこの事ではないか?私はいまそれを感じている。私はいま……感動している?これが、そうなのか?

 


当たり間の話だが、私にはわからない事が多い。だから、わかろうとしてみるが、わからない事が多い。それでいい事柄もあるだろうが、それでは駄目と言われる事もある。それでも私にはわからない事だらけだ。


わからない私

当たり間の話だが、私にはわからない事が多い。だから、わかろうとしてみるが、やはりわからない事が多い。それでいい事柄もあるだろうが、それでは駄目と言われる事もある。それでも私にはわからない事だらけだ。

 

それなのに、わかっているフリをする。フリをするならまだいいが聞きかじったもっともらしい事をあたかも自身の探求の結果として語る。さならには、それを聞いた者がそれをうん、うんと頷くのを見て高揚し、また聞きかじった事を自慢げに語る。

 

当たり間の話だが、私にはわかってはいない。だから、わかっている者からすれば、それは透けて見えている。それでいい相手もいるだろうが、それでは嫌な相手もいる。それでも私は透けて見られている。

 

それなのに、見えていないフリをされる。フリをされるならまだいいが通り一編のもっともらしい事をあたかも自身の感受の結果として語る。さらには、それを聞いた私がうん、うんと頷くのを見て高揚し、また通り一編の事で中身のない薄汚れた綺麗事で盛り上がる。

 

そして、当たり前のようにわからない。わかっていると誤魔化す私も、見えていないと誤魔化す相手もどっちも誤魔化しの間柄でそこには始めから共感も共鳴もないが、それいいと言う事は共有していたはずだ。だから一種の安心や信頼があり誤魔化し合って成立していた薄汚れた綺麗事の関係性と思っていたが、わかっていない私と、見えている自分をこの世の真理のように晒す。それはわからない。

 

いや、わかっているのか?聞きかじったもっともらしい事、それを語り高揚した自身の心は真実だった事を、通り一編のもっともらしい事、それを掛けられ高揚した自身の心は真実だった事を。それらをわかっていたから、騙されたに似た感情が湧き、ムカつくに似た感情が湧くのか?

 

かもしれないが、私にはわからない事がやはり多い。それが相手への思いか、自身への思いか、はたまはその両方か?それらも真実のフリをしたもっともらしい事の一つでしかないのか?

 

いや、いや、そうではない。真実などと言うものは大した意味を持たない。なぜなら、わからないからだ。私の真実も、誰かの真実も、その全体を知る事は困難中の困難だ。見えている一部、聞いた一部を、己の持っている解析機にかけて真実を測ろうとするが、その性能は己のわかっている範囲が解析限界である。なんど調べても結局は仮説でしかない。あとは、自身がその仮説を信じられるか、信じたいかどうかだ。

 

と、断定口調でまたもっともらしいことを描いてしまったが、結局のところは私にはやはりわからない事が多いと言う事なのだろう。


たまには純粋な愚痴を

この週末幾つかお誘いを頂いたが、どれも受ける気なし。何をするにしてもお金がかかる。それを費やす価値があるのであればいちいち細かい事は気にしないタイプだが(少しは気にしなさい。給料日前に困ります)、その価値が見いだせない。「いろいろあるし、行った方がいいかな」と算段してしまう。そして算段して逢う仲ではない(と思っている)ので、受けない。行かない。今は「<お金」なのである。

 

なんでもかんでも「コロナ」のせいにして根本的な問題点を見失いたくはないが、「もっと演劇に時間を!」とのおもいから今年初めに仕事を変え。ライフスタイルを変えた。これが裏目に出た。多分、経済的には変えない方が安定していた。時間も取れた。どうにか今週くらいから微調整に入り、来月には「当初の予定」に近づくだろうが、肝心な「演劇時間」が取れない。というか、公演がね・・・。

 

公演が思う様に打てないのには金銭以外にも人員の問題もある。20周年記念公演以降退団が相次ぎ、昨年には3名に戻った。自主公演を打つとなると外部から招く必要がある。もともと交流の少ない迷子の遊園地、しかもコロナ禍、声をかけるのもままならない。新たな団員も入って来ない。(本気で探せ)

 

場所の問題もある。「もっと演劇に時間を!」は「浜松以外で公演を!」と同意で、静岡市など県内はもちろん(嗚呼、東部に行きたい!)お隣豊橋市や京都、大阪の関西圏、もちろん東京へ再びとも思っていたが、今はちょっと難しいと思ってしまって動けていない。

 

ではせめて市内で!となっるのだが、何処で?となる。「今までやっていたところは?」と思うかもしれないが、今は「劇場」でやりたいのだ。「演劇を上演すればそこが劇場」という思いから施設の分類として劇場でなくても公演をして来たが、今は分類としての劇場でやりたいのだ。帰りたいのだ。

 

ないよね、浜松って・・・となってしまう。

 

ああ、いっそのこと時流に逆らない東京にでも移住しようかな。

 

ないよね、お金が・・・となってしまう(笑)

 

ならいっそう、朝から晩まで身を粉にして働いて「人生、お金」と言い放って生きて見るか!と考えてはみる。コロナ禍だろうがなんだろうが人手がなく、働ける場所はある。(提供する労力と給与が見合っているかは別)それも悪くない。悪くないが「どうしたの?」と言われると「コロナでね」と言ってしまう。そのせいではないはずなのに。だから、いまその選択はない。

 

演劇を辞めるも同じで「なんで?」と来かえると「コロナでね」と言ってしまうだろうし、勝手にそう思われるだろう。それは嫌なのだ。辞めるチャンスはいくらでもあり、それでも人生の半分以上の関わってきた来たものを自分の納得や限界とは全く違う要素で終わるのは嫌だ。もちろん、人生なんてそんなもの。不条理。と知ってはいる。それでもここまでそれを"無視"して"大人"にならないで来たのに…46歳という何とも半端な時にそれはしたくない。「なら30歳の時に」と人生を悔いてしまいそうだ。

 

・・・と、書いていたら何を書こうとしていたか忘れた。「ま、いいか」・・・何も"解決"はしないけど。


うっとうしくて、うんざりな我が演劇人生

「孤影と接吻#4」が終わりました。ご来場いただいた皆様(#3より多かった!)配信ご覧いただいた皆様(#3よりちょっと少なめ)、ROBANOMIMIさん、心より感謝です。

 

 

44歳の誕生日の時(2年前)にも公演をしましたが、やはり誕生日というより公演日という感覚が圧倒的で「今年の誕生日来た?」って感じです(笑)もし誕生日を「祝ってもらいたい」のならパティーを開くに限る。ただ自分が今あるのが多くの人たちのお陰だと実感し、感謝する日としたいのなら公演を打つもいいでしょう。

 

昨日は家に帰り、差し入れの(誕生日プレゼント?)のビールと日本酒を飲んで、ほろ酔いでギターを弾いて、これまでの演劇人生、その様々な景色と感情が込み上げてきました。

 

何かを成し遂げたわけでも、認められたわけでもなく、誰かを育てたわけでも、残せたわけでもない演劇人生。終わる事からも立ち向かう事からも逃げて来た演劇人生。昨日の作品の中に書いた台詞『辞めりゃよかったんだよ、東京から逃げて来た時に。死ねばよかったんだよ、東京で不覚悟を知った時に』ずっとそう思いながら続いて来たうっとうしくて、うんざりな……中途半端な演劇人生。それが「私」の人生なのだと。

 

アフタートークでも言いましたが、「私」を書いた三作品(この手で触れて・むだつかい・てふり)を通してようやく自身の嫌いな部分、認められない部分を晒せたと思っています。やり切れた!と言う感じはないのですが、ここまでこれたと……若かりし頃の不覚悟と不義理。嗚呼、やっと贖罪の時が来た―そう思っています。

 

これからはオリジナル台本を書きません。公演をするのであれば既成台本か二次創作的な作品になります。しかしいま現時点で明確な構想はなく、従って次回公演までは時間が開くかと思います。それでもいつかその日は来ます。来ると信じて生きます。その日まで、皆さまもご自愛ください。

 

それではひとまず『さようなら』

 

追伸:「私」を昇天させる為に三作品の台本、動画を公開するつもりです。


やりたい事

「役者をやりたい」と、自分が再び思うなんて想像していなかった。だから、なかなか素直にそれを認められなかった・・・というか、気付けなかったのだろう。ハッキリと意識したのは・・・いつだろう?2018年の東京公演「離々として連々」に出演すると決めた時だろうか?その公演を終えた後だろうか?

 

とにかく、その公演以降に「孤影と接吻」というタイトルで一人芝居を始めた。一回目は"ぼっち企画"として当日の運営まで一人でやった。二回目は劇団所属のさおりと同台本を元にした"対決"。これを機に「孤影と接吻」を藤田ヒロシVS○○○という企画にしようと思っていたが、この感染症騒動。人に声をかけづらくなったので三回目はまた私の一人芝居集に戻った。そして、今週末に4回目を行う。

 

毎回二本の短編を上演するが一回目と三回目はその内の一つが『1974年、昭和49年8月30日・・・』という自身の生まれた日の話から始まる私自身の話である。一回目では父と対峙し、三回目では母と対峙した。そして今回も私の話を上演する。対峙するのは・・・今回は身内ではない。でも親と同じくらいに人生において影響力を持つ立場の者と対峙する。そして、今回初めて自身の生まれた日の話から始まる私自身の話をその生まれた日に上演する。いいきっかけの様な気もする。

 

「もうオリジナル台本はやめよう」

 

役者をやりたくなったのは、演者として他者と向き合い変化・創作していく事が楽しかった。それ以外にも逢ったのだと思う。劇作から離れたかったのだろう。でも、なかなか素直にそれを認められなかった・・・というか、気付けなかったのだろう。自分が本当にやってみたいと求めていた事に。

 

新型コロナ、自粛期間・・・私も朗読を配信した。自身の言葉ではない文字を発した。それは難しく、楽しい。"昔読んだことある"程度の作品に再び触れると記憶の片隅にあるそれとは全く違う景色が見えたり、時間や場所を超えた普遍を感じたり・・・音と声、声と想い、そんな違いについて考えさせられたり・・・いい時間だった。いや、いい時間だった、にしたい。

 

「嗚呼。これがやりたいんだな」

 

と、数週刊前に不意に気が付いた。それが何かは具体的に作品や公演と言う形にする算段出来てから明らかにしたいが、いま言える事は・・・「孤影と接吻」の四回目。これが自身のオリジナル台本を自身で演じる最後である。と言う事。

 

46回目の自身が生まれた日。終わりと始まり。待ち遠しい。


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