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演じる・・・それは怖くて、爽快

久しぶりのWS。参加者同様に緊張。そこでまずはそれを解きほぐす為のレクリエーション的な事から始め、このWSの為に書いた台本(というかシーン)を"演じる"

 

人数的に劇団員と外部からの参加者が同数だったので、それぞれで組んでもらう。当然、初顔合わせ。相手の特徴も出方もわからない所から始まる。せっかくほぐした所に新たな緊張!まずは台本に書かれた設定に沿って"読んで"もらう。そこから個々の組でテキストを分解、解体し、再構築していく作業に入る。

 

「職場先輩と後輩」という関係性が演者の現実に対する認識力や判断力により「部活の先輩後輩」「同級生」「年齢差のある同僚」と変化し、動機が変化し、紙に書かれていない部分を創造し、紙に書かれた文字が言葉になっていく。自然と溢れ出る言葉(アドリブ)もあった。

 

変化をしてゆく様を観るのは実に楽しい。"いまこの瞬間"を生きている、共有している感覚。虚構内の人物を演じる事で、自身の"見せないでいた心"が露わになってゆく。何が好きで、何が嫌いで、その笑顔の内側に何を抱えているのか・・・演じるは怖くて、辛くて、それだからこそ爽快でもある。

 

最後にそれまでに積み上げて来た事を内に持ち、再び”台本通り”に・・・しかしそこに”同じもの”はない。出てこない。最初の"読み"とは全く異なり、個々の組で異なる"人間模様"が現れる。僕が紙に書いただけの「キムラ」と「サギサワ」という人物が、演者の認識力や判断力により現実化・立体化し、確かに其処に生きていた。自然と拍手を送る。


想像以上に充実したWSになった。これも全て参加した者たちが「キャリア、年齢、性別などの自身の背景を置き、目の前の事に向き合い、挑戦し、恥をかき合う」ことを実践してくれたから。いくら僕が口で言っても当人が実践しようとしなければ何も起こらない。そう言う意味で、今回は皆が実践しその相乗効果で、互いに思いもしなかった感情や感覚・・・自己に出逢えたのではないだろうか。ここ最近は固定されたメンバーで創作して来たので、僕としても実に刺激的で改めて自身が大切にしているものを確認できた。だからこう言うしかない。参加、ありがとうございました。そして、また開催してしまう・・・。

 

 

参加者の声(一部抜粋)

 

今日のワークショップでは、普段なかなか出せない感情をぶつける機会が何度かあり、デトックスできたみたいに楽しかったです。失敗しても大丈夫という雰囲気の中、安心して集中することが出来ました。

 

演じるということがはじめてだったので緊張していたのですが、とても面白いWSでした。私は日常生活で感情を素直に出すのが苦手です。そのためこのWSで演技してみて、自分てこういう風に怒ることができるんだな、と新発見でした。
 

 


三度目の残光を終えて・・・?

改めて迷子の遊園地 短編作品集【回転木馬の残光 #3】にご来場、ご協力頂いた皆様、競演してくれた創太君、Pops倶楽部Lilyさん、ありがとうございます。

 

本当は今回の公演で感じた事、発見した事、そしてこれからの事を色々と書きたいと思っていたのですが・・・。当日、バラシを終えて空腹を満たそうと入った居酒屋で・・・作品の話、演劇の話、そこから始まる芸術でもいい、社会情勢でもいい、生と死でもいい、そう言った話が繰り広げられ、時に熱くなり、ぶつかり合うならそれは素敵な事だ。しかしその夜はただただ”私の話”を繰り返し、他者へのリスペクトなく”身勝手”を繰り返す者・・・ゲストの創太も同席していると言うのに、まるで公演自体が無かったかのような”ただの飲み会”と化したその時間に・・・全てが壊された。三度目の”残光”はとても不快にギラついた。

 

数日経った現在も全く憤りを抑えられず、整理が出来ない。当日も口にしたが「所詮、僕や迷子の遊園地はその程度のもんなんだな」ではあまりに哀し過ぎる。店を出て1時間以上帰る事が出来なかった者の想いを考えると無理に整理など付ける事はしたくない。しないで、次に進みます。

 

個人としては幸いにして次が決まってる。演劇人だから憤りも嘆きも哀しみも、全て演劇の糧にして進む。それしかもう僕には残っていない。

 

あ、これだけははっきりしているの書いておきます。創太くんとは個人としても劇団としても必ず再競演します。出来れば今度は彼のホームで!(創太、よろしくな!!)

 

主宰・藤田ヒロシ


回転木馬の残光#3 終演

ゲストにシンガーソングライターの創太を迎えての【回転木馬の残光#3】無事に終了いたしました。ご来場ならび応援して下さった皆さまに感謝です。

 

昨夜のあの場所で生まれたすべての感情を受け止め、咀嚼し、消化し、この身の血と肉にしてまいります。今後とも迷子の遊園地そして創太をよろしくお願いします!

 

 

迷子の遊園地としては、まずはワークショップ!!

回転木馬の残光「虚構」などではない

ある者は「触れた記憶」がなく、ある者は「与え方」を知らず、ある者は「乞い方」を知らず、ある者は「なかった事」にし、ある者は「知らない振り」をする。そんな者たちが「ならば闇を、されど光を」と「すてきな始まり」という二作品を通して「愛」に向き合う。


色でも形でも現せない「愛」・・・触れたと思ったそれは幻想でしかなく、抱いたと思ったそれは模造でしかない。今更ながら・・・いや、今だからこそ「愛」に向き合い、自己と他者の孤独、嫉妬、希望と失望、そして欲望と向き合う日々。いよいよその成果を形にし、お見せする時が近付いて参りました。

 

旗揚げをして20年と少し、これほどまでに「愛」について劇団員に問い続けた事はない。苛立ちも、葛藤も、迷いも、不信も、不快もある。正直ヘロヘロだ。「もう無理だ」と投げ出したい想いもこれまでにない程だ。それでも今なお問い続けている。「明日には・・・」「来週には・・・」そう願いながら、役者の中で微かに動き出す変化の予兆にワクワクする自分・・・それも否定できない。何より「逃げ出さない」役者を目の前に、こちらが「逃げ出すわけにはいかない」という"当たり前"の覚悟を彼女たちの苦悩の姿に、涙する姿に問われる想い。

 

孤影の過去、不条理の過去、欲まみれの清さ、歪んだ正しさ、模造の美しさに囚われ、最も美しきモノを汚してきた者が、誰にも悟られない様に、それでも心の中心で求め続けて来たものに向き合い続けている。

 

どうか知って欲しい。辿り着いて欲しい・・・それはもう今となっては願いであり、祈りだ。僕はちっぽけな人間だ。「愛」と「真実」を与える事など出来ない。出来る事と言えば、彼女たちのそれらを目撃し、その存在を証明する者・・・客席を埋めるべく奔走すること・・・それくらいしかもう残ってはいない。だから、是非に見てやってほしい。「時間があれば」「予定が空けば」なんてことじゃない。時間は作るもので、予定は空けるものだ。どうが見てやってほしい。

 

これを「演劇ではない」と言う者もいるだろう。「演技ではない」とと言う者もいるだろう。ましてや「芸術」なんておこがましいと・・・。そうだろう、そうだろう。これは演劇でも、演技でも、ましてや芸術でもない。これはただの迷子の遊園地に集いし者の「生き様」だ!ずっとそこにあり、ずっと閉じ込めて来た疑心に向き合い、己に向き合い、他者に向き合い、後悔と懺悔の中で、それでも明日を信じられる場所を得た者の生き様だ。だから決して「虚構」などではない。だからこそ同じ空間、同じ時間に身を置く者との間に生まれる光と影。それもまた・・・

 

色でも形でも現せない「愛」について「私の真実」について、知りうる全ての感覚を持って挑む短編作品集「回転木馬の残光 #3」

 

是非、この愛に触れて下さい。


そして、この先へと進む為に役者としての僕は"いま一度"自分の為に舞台に立ち、信じる明日へ近づきます。

 

 

短編作品集【回転木馬の残光 3】
 2019.5.18(sat) Pops倶楽部
(浜松市中区田町331-9 マルケンビル6F)
OPEN 19:00/START 19:30 ※上演時間:90分(予定)

料金[前売]1500円+1D 500円[当日]2000円+1D 500円

チケット予約 劇団ウェブサイト https://maigo.link/ticket/postmail.html またはこのメールに氏名、枚数明記で返信

 

【上演作品】

「すてきな始まり」さおり 藤田ヒロシ & 創太(ゲストアーティスト)
台本を書けない作家、それに苛立つ役者。何を言われようが書けないものは書けない・・・はずが・・・一冊の絵本により導き出される想い。それは気付かないフリをしていた想い。 創太とのコラボレーションは必見!

 

「ならば闇を、されど光を」宮本あゆみ 水野史奈子 東桜子
女は確かに老婆にあった。その証、仮死薬。『試せばわかるさ』再び聞こえた声に女は"蓋"を開ける。生き続ける事に理由などない。そう思っていたはずなのに…。


弾き語りライブ:創太(ゲストアーティスト)
愛知県 豊明市出身 シンガーソングライター 当たり前に過ぎていく日々に対しての葛藤をギター1本弾き語りで表現する 今日も必死に生きる貴方の背中を押せるように、今日も唄う。
 

 


"同じ"苦労はするな!

5月18日の短編作品中【回転木馬の残光#3】に向けて劇団員に自分以外の出演者紹介をツイッターに書くようにオーダー。それが出揃った。「嗚呼なるほど!」と思わず膝を打ってしまう物はほとんどない。どれもこれも似ている・・・ならまだしも、紹介される側より、する側が書かれている。

 

人は自分を紹介しようとすると「好かれたい」とか「嫌われたくない」とか「笑われたくない」とか「のけ者にされたくない」いう思いから慎重になり、言葉を選び、加減し、結果として自分ではなく「自分に近い者」または「遠くはない者」紹介したり、時に「真逆の者」の時もある。しかし、他人について・・・面と向かって当人相手ではそうはいかないが第三者となると、その慎重さが和らぐ。結果、ありのままを話す。この時に自分が出るのだ。「憧れ」「尊敬」などと言う言葉を使いながら自分を語り、その裏にある「嫉妬」「嫌悪」「孤独」を露わにする。

 

しかし今回はその「無意識に自分を語る」を目的としたわけではない。以下に「自分が相手を知らないか」を知る為だ。

 

知らない相手を語ろうとすれば、その概要、視覚で把握できる事しか語れない。または誰かが言っていた事。つまり、個人として個人を見ていない結果である。自分だからこそ語れる"その人"ではない。そうなれば、当然"その人"でなくとも語る事の出来る自分しか出てこない。これは大大大問題なのだ。他人への興味、もっと言えば自分と言う世界の外側への興味が薄いのである。だから概要を知っていれば事足りてしまうのである。今回の紹介文を書く事に苦悩したかも知れない。それを文章が苦手とか語彙力の問題にしているかも知れないが、書くべき相手の書くべき事を知らない・・・興味を持って接して来なかったからなのだ。

 

あまりにも「自分を知ってもらう」ことを望み、相手を知ると言う"双方向"な想いがないのである。その要因は色々あるだろう。自分だけの問題でもないはずだ。それでも・・・同じ劇団に属し、共に作品を作る相手・・・知らない、興味ないでは・・・もはや其処に居る意味がない、のである。

 

とはいえ、これは想定内。いくら口で言っても、繰り返しても、理屈で理解しても、出来るようになると言う話ではない。よくわかっている。いわゆる「いつか来た道」だからだ。険しい道だとこの身を持って知っている。だからと言って「同じ苦労をしろ」とは思わない。同じじゃぁ、出逢った意味がない。伝えられる事は伝える。苦労するならもっと別次元のところで苦労して欲しい。なのにだ。なぜ同じ道を歩もうとするのだ。もっと見ろ!知れ!自分だけではないのだ。答えやルートは自分の外側にあるんだ。そして、それは遠くにではなく、いつだって目の前にあるんだ。


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