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演技を求めて〜オープン稽古レポート

12月22日(日)に「オープン稽古」を開催した。これは僕自身が自主稽古する際に"一緒にやりませんか?"と言うもので、僕が講師となるワークショップとは全く異なる。共に「演者」として向き合うものだ・・・と、言っても参加者は居なかったのでひとり稽古となった。(今年最後がそれである。なんとも寂しいが、今年を象徴しているとも言える)

 

さて、今回やりたかった事はと言えば『演技』の"技"の部分である。僕はそれは『再現力』だと思っている。話す、動く、止まる…それらは日常的に行っている取り立てて特別な事ではない。例えば「笑う」ちょうど昨夜M-1があったが自分が面白いと感じれば、笑おうと思わなくても既に笑っている。それは当然、自然でリアルで嘘がない。しかし、それを"M-1を観ている者の反応"として再現しなさい」となると・・・そうそう簡単にはいかない。だからこそ其処に"技"がある。

 

『再現』なので既に起きた事を再び起こすのだが、この「起きている事」を何と捉えるか?先の例で言えば「笑ってしまった」事…ではない。その時「自分の感情・感覚が何に対して反応し、身体がどう反応したか?」だ。「笑ってしまった」はそれらの"結果"でしかない。つまり「笑う」という行為のメカニズムを知る必要がある。

 

その為にはゼロ地点、基準がないと測れない。そこで「フラットな自分」を知る。が今回の目的である。

 

まずは歩いてみた。ここ数カ月かけて"歩き方"自体の見直しはしている。足裏への体重の掛かり方、膝の高さ、骨盤の角度、胸の開き、肩甲骨の…と、それらを意識する事で最初は非常に硬い歩き方になる。この硬さがヒントになった。

 

硬い身体は『跳ね返す身体』となる。自分が居る環境内の変化を跳ね返す、影響されない、反応しない。そして、観る者の視線を跳ね返す。「フラットな自分」そのひとつは「反応できる、影響される身体」ではないか?ということでそれを探る。硬いではないなら柔らないとなるが、だからと言って"意識のない身体"でも"無責任な身体"でもないわけで…歩く、歩く、力んで歩く、抜いて歩く、考える、そして歩く。

 

そうしている内に気がついた!「あの感覚」が何であったか。「あの感覚」とは11月の一人芝居の稽古、本番で感じた「客が"居る"ではなく"ある"」という感覚の事だが、それが一体どういうことだったのか?自分に何が起きていたのか…それを知る糸口が明確に見えた。

 

舞台の上(物語の中)の世界で向き合うべき相手と向き合う事とき、客席という世界に居る者たちは「ある」のである。もしその者たちが「居る」では其処へ向きう事になる。それ自体が駄目と言うわけではなく、まず向き合うべき相手に向き合う事であり、それを疎かにして客席に向き合うと、舞台に居る人間の"観せよう"とする意識と客席に居る者の"観よう"とする意識が衝突し、跳ね返すのだ。これまでは…と、いうより2013年に名称を【迷子の遊園地】に戻してい以降、その衝突とそのエネルギーを求めていた。しかし、此処からはそれではない「演技」を求めたいのだ!と、自覚より先に求めていたのだ。

 

「舞台の上(物語の中)の世界で向き合うべき相手と向き合う事」当り前と言えば、当たり前だ。しかし、だからこそ難しい。落とし穴がある。其処にばかり気を取られれば舞台と客席が完全に分断され、世界は交わらない。観る者を物語へ招き入れる事が出来ない。つまりは空間が劇場のままで例えば「夜明け前の海」「小さなアパートの一室」「秋晴れの公園」などにはならないのである。「居る」ではなく「ある」のだ決して「居ない」でも「ない」でもない。

 

跳ね返すのではなく、受け止める身体、そして演技 ― かつて【演劇団S.O.】と名乗っていた時代。「生活を覗き見している様な…」「ドキュメンタリー映画の様な…」と言っていた時代。「急がば回れ」ということか…いま、演技を考える事がとても楽しい。。


ようやく始まったこの思考錯誤。確定的な事は伝えられませんが、共に思考錯誤してみませんか?…ということで、1月も「オープン稽古」やります。

 

【開催日時/会場】
1月29日(水)19時〜21時半/西部協働センター

【募集要項】
[参加資格]15歳以上 経験不問
[参加費]200円(会場費一部負担)
[募集数]5名程度
[詳細・応募]https://maigo.link/workshop.html


WS は"勝負の場"ではない

(ちょっと書いておこう・・・が2000文字超えました、なんかゴメンナサイ(笑))

 

去る12月8日(日)に「演技ワークショップ」に参加した。これは当地浜松で8月から2月に行われる「ゲキトツ」という演劇フェスティバルの一環で、地元で活動する演出家6名が講師を務め、先に行われている「劇作ワークショップ」で参加者が書き上げた短編を立体化し発表すると言うものだ。


時間は10時〜18時。グループ分けや昼食、発表時間もあるので"稽古"を出来るのは4時間程度と言ったところ…なかなかの強行軍である。聞けば10年程やっている。(その昔、講師を頼まれた事もあったが…そんなに時間が経っているのか)10年にして初参加。しかも「演者」で。なぜ参加したのか?それは「演技」への純粋な興味(疑問も含む)である。7月11月と一人芝居を行い、その過程でそれまで感じた事のない感覚を得た。最初は7月の本番中で、次に11月に向けた稽古の中で、そして11月の本番時にはハッキリと体感した。

 

それは「自身が意志とは異なるもので動き、反応している様」であり「観客が"居る"のではなく"ある"と言う感覚」だ。終演後には本番を「やった感覚」すらない。なので、自分の演技や作品がどうであったか…自己判断がサッパリ出来ない。観た者に話を聞けば「良かった」と言う。「初めての"顔"を見た。新しい扉を開けたね」とアンケートにあった。自分の中に感覚的に残っているものとはあまりにも離れている。そのギャップを埋める作業をしい!と、欲した時に直近にあったのが件の「演技ワークショップ」である。

 

「地元演出家」が講師であり、地元演劇人が運営にも参加者にも多い…ある意味"近親者"の多い中で「恥かく事」への抵抗感もあったが(僕はWSはキャリア云々など関係なく恥をかき合う場だと思っている)、「ここで恥をかけてこそ」とも思った。自分が本気で演技という、役者という"技術"に向き追う事が出来るのか否かの試金石…だと。


前置きが長くなったが、参加しての感想はまずは「参加して良かった」である。自分で決断した行動であれば、そこに"間違い"はないのだから当り前ではあるが、参加してよかった。

 

「演出」という立場の人間が自分以外で居る事で「自分の得意」に逃げることが許されないし、自覚の薄い「自分の武器」を教えてくれる。(明確にコレね、とは言われないが)それに、普段演出をしている為に身についた「集団から一歩引いて見てしまう」癖に打ちのめされる。なぜもっと我を出し、抜けだそうとしないのか?その故の失敗をしないのか?自身に苛立つ。ついつい先回りして「コレ正解でしょ」をしたくなる。「恥をかく」がこれほどに難しいのか!と改めて思う。そう思うと以前運営した映画監督のワークショップに参加した面々の"凄さ"をより深く感じる。

 

当てられた台本は三人芝居だったが、チームは6名。一人一役で、とはいかなかった。僕のチームは前後半で演者を替える方法を取った。僕はある役の後半を演じる事になった。役(人物)の起から結までをやり切れないという物足りなさはあったが、前半を感じながら締めくくれるのでまだいい。前半の3人にはかなりの消化不良ではなかったか…この辺は台本や参加人数の調整を運営側に再考してもらいたいが、話をした者はその問題意識は持っていたので完全するといいな。

 

ま、運営云々はこれ以上は置いておいて個人の話を…。

 

本読みの段階では「自分の得意」の"ど真ん中"でやり、見事に"否定"される。(良し!)で、演出からオーダーが来る。ふむふむ、行っている意味はよくわかる。さて、自分にその引き出しがあるのか…探る。またオーダーがふむふむ、行っている意味はよくわかる。「少し難しくしてます?」と…例えるなら、整数ではなく小数点以下2から3桁くらいまで使って感情と感情、相手と自己、自己と環境の隙間を測って下さい。それを台詞という予め決められた言葉で表現してって感じ。演出が楽しげに言って来るので「ドS だな」と思ったが、ふと思う。これは人のふり見て…というやつだ(笑)

 

「そんな引き出しないですけど」とか「いや、そこはこうやった方が…」と、言えば言えたが、それでは趣旨が違う。恥をかく事を避け、得意に逃げては新たな引き出しは探せない。ならば一人でやっている時と同じ…いや、それ以下の無意味な時間だ。なので、こちらも演劇素人ではないので、オーダー以上を目指して思考する。

 

しかし!!時間が短い!!思考は出来ても、錯誤が出来ない!!相手役との時間が足りないぃ!!!!!幸いにして相手役が"見知らぬ相手"ではなかったので会話はスムーズに出来たが、"見知らぬ相手"ではなかったのでその予めある距離感がちょっと邪魔だった。それを取っ払うにはやはり時間が足りない!!(そもそも自分の事だけに構い過ぎたか…)


発表の結果は…よくわからない。何かを僕の演技で伝えられたのだろうか?「やった」という単純な事実だけが残った気もする。そう言う意味では「劇作ワークショップ」の”仕上げ”または「演出家のショーケース」だったと揶揄するのは簡単だが、そもそもWSとは"勝負の場"ではない。(これは自身が開催する時にもよく口にする言葉)WSでは良いも悪いもなく感じる事があったか否か、それを反芻して、その正体を知り、それを血にして肉にして勝負するのはまた別の場だ。そして、その場が僕にはある。

 

一人芝居を経て「演技の入口に立った」という予感を得て参加した今回のWS。最初の一歩としては上出来であった。

 

最後に、講師始め運営の皆様、チームのみんな、ありがとうございました。


見直しの時来たり!?

【孤影と接吻】#2を終えて一週間、改めてご来場の皆様、関係者に感謝申し上げます。

 

「11月16日」この日に公演を行いつもりは全くなかったのですが、とある事情が生じて公演を打つ事になりその事についてのあれこれを公演後に書くつもりでいたのですが、今そんな気分は全くもってありません。

 

「そんなことはどうでもいい」と言い切れるほどの"難題"が生じたのです。

 

終演後にまず思った事。それは「出来ていない!」でも「出来ていない?」でもなく「全然、出来ていない!?」でした。自分の中に残っている感覚・余韻はありました。でもそれが一体なんであるか?何ゆえそれがあるか?が全く分からない。初めての感覚。

 

「良かった」も「駄目だった」も、掛けられた言葉の中にはありましたが、その理由も含めどれもストンと心に落ちず、自分が「一体なにを演ったのか?」「そもそも演ったのか?」・・・言葉を貰えば貰う程に分らない始末。

 

それは一週間くらいでは"出口"は見えない、つまり次への"入口"も見えない。

 

それでも自身の演技や台本、演劇をやる言う事、劇団であると言う事・・・あらゆる事に対して"ゼロから見直す"その時期なのでは?という気がし始めて来た。今は「演者」としての自分を軸に、演劇とそれを取り巻くものを見て行こうと思う。

 

・・・と、言っても次まであまり時間がないのだが(笑)

 


性(さが)を探して

「男は最初の恋を、女は最後の恋を忘れられない」なんて事を言ったりしますが、いま作品つくりに没頭しながら「嗚呼、なるほど」とそれを実感していたりします。自分も男"性"なのだな、と。

 

性(さが)と言うものはやはり避けがたいもので"それが全て"ではないにしろ、それぞれに何かしらのそれを纏い生きているもので、その性を自覚してこその表現・演技なのだろう。なんて「何を今更」感ではあるが、10月27日に三名の"稽古パートナー"招いての稽古でそれを強く実感した。偶然にも三名ともに女"性"であり、僕とは性質の異なる性を持っている。故に台本、言葉、情景…感じ方が異なる……いや、感じ方が同じでも現わし方が異なる。更に三名の演劇的経験値も異なるので、各々に実に個性が溢れる。

自分で書いた台本ではあるが自分では発想できなかった表現が飛び出したり、これまでの作品の流れ(過去の上演)を知らない故に其処に縛られることない発想の自由度を見せつけられた。思わず膝を打つ……そんな機会に多く巡り合えた。

やってよかった。来てもらってよかった。

 

しかし、大事なのはそれ自体ではない。此処からだ。男"性"と女"性"、それぞれの性を知り、それだけではない性を知り、己を知り、その上で「どう物語の三人の性と向き合い、演じ分けるか?」である。


やってよかった。来てもらってよかった。

確実にハードルは上がった。自分への期待値も上がった。それに挑めることが嬉しいし、その結果を観てもらうことで他者と共有し、実在させられる事が嬉しい。この"演劇"と向き合っている時間を得ている事が嬉しい。

 


主宰VS看板女優 一つの台本を二人が独自解釈で演じる一人芝居対決

一人芝居集【孤影と接吻】#2
2019.11.16 SAT 15:00/19:00
浜松Pops倶楽部
前売2000円 当日2500円 (1ドリンク付)

出演 さおり×藤田ヒロシ

チケット予約
公演サイトhttps://maigo.link/koei/

※開場は30分前
※上演予定時間60分
※上演後アフタートークあり

 


心配、期待、愛情、恐怖、そして自立

全く記憶にはないが0歳時に肺炎で入院をしている。兄、姉と経験して来ての三人目、出産・子育てに"慣れ"のあった親にとっては想定外の嬉しくないサプライズ。入院した病院がちょうど父の同窓生宅の近くで、母はお風呂を借りたり仮眠をさせてもらっていたと言う。その家にも僕と同じとしての子供がいる。母の心情は理解できたとしても、自分たちも子育て真っ最中、その中で僕をサポートする母をサポートしてくれていた。「念の為、大きな病院で診てもらって」と紹介状を書いてくれた医師といい、実に素敵な大人たちに恵まれ私の命は繋がった。ただ、その事への感謝を示す為の話ではない。

 

そんな人生のスタートを切った私は当然に「心配される存在」として育った。事実、小学生の事はよく高熱を出し、そうなると最低でも三日は寝込む。余りにも当たり前の様に「三日間は寝ないとね」と言われ続けたので、当時の私は誰もが熱を出したら三日寝るものだと思っていた。なので小学校に上がり風邪で休んだ翌日に登校して来る同窓生を見て「なんで寝てないの?」と思っていた。

 

「心配される存在」それが私のポジション。末っ子だと言う事も手伝い母に甘えるだけ甘えた。母もそれを受け止めてくれた。「男の子は外で元気遊ぶもの」と思っていた父はどう接していいか戸惑った。兄の様に泳ぎやキャッチボールを教えることが出来なかった。全く教えてもらわなかったわけではないが質は問われなかった。"やれる"という形だけでOKだった。私は決して「期待される存在」ではなかった。だから憧れた「期待」。出来もしない事を出来る様に振舞い、"背伸び"をし、気が付くと「出来ない」「わからない」と口に出来ない子になっていた。かと言って実際には「期待される子」「応えられる子」になっていたわけではないから、自分の無能さを痛感する度に口を閉ざしていた。

 

「劇団員の愛情に対して不感」と言われるが、多分ここに起源するのだと思う。主宰として期待され、出来る人と憧れられたり、尊敬されたり……それは憧れて来たもの。それを手に入れたくて"背伸び"を含め必死にアピールをする。しかし所詮は憧れだけでしかなく「期待」には接して来ていない。実感もなければ「応え方」もわからず口と閉ざす……。

 

「心配される存在」として"心配"が「代表的な愛情」として認識してしまった私には"期待"に愛情を感じる事が出来ないどころか、自分の無能さを露わにする"恐怖"と言ってもいい。トコトン甘えん坊なのである。それを隠す為の主宰としての”自身に満ち強権的な”立ち振舞い……。

 

そんな思春期の様な自己分析をこの歳になって再びやっていた。そのきっかけは劇団員たちである。やりたいと宣言する事に一心になれない彼女たちが「なぜそうあり、なぜそれでも憧れを口にするのか?」に向き合えば、当然に自分のそれにも向き合わざる得ない。彼女たちの存在が私に機会を与え、教えてくれた。そしてそれが"役割"であったかのように、私の元を去っていった。

 

その置き土産が【11月16日】だ。それに最大限の感謝を込めて応えるには……と、怖いくせしてつい"背伸び"をする性を少し恨みながら考えた。その結果が共通の台本を元にそれぞれに一人芝居を再構成するというさおりとの競演【孤影と接吻 #2】だ。

 

 

彼女は公私のパートナーであり、ほんわかとした空気の中に優しさと強さを内包する。私は「心配される存在」であり「期待される存在」でもある。出会った時の彼女は"素人"だったが、20数年を共にし、すっかり"舞台役者"になった。その点に置いては私を越えている。しかし、まだある伸び代の未自覚やその反動の様な行動力に、彼女は「心配する存在」であり「期待する存在」であり、唯一無二の存在である。

 

その彼女との競演は何をもたらすのか?今は何も見えない。いや、見ようとはしない。「期待」は"恐怖"。得意ではない。ただ精神的にも肉体的にも変化の時を迎えている二人が"当り前"となっていた創作プロセスを捨て「個」として向き合う事で、心配、期待、愛情、恐怖、唯一無二の存在……"当り前"あるのではないと再確認出来るだろう。そして、それは互いの「自立」を意味し、より深く向き合う事に繋がり、それこそが今後の『迷子の遊園地』に必要不可欠な"チケット"になるのだろう……と、結局「期待」している(笑)

 

なぜ【11月16日】が置き土産か?それはまた別の機会に。

 

一人芝居集【孤影と接吻】#2
2019.11.16 SAT

[マチネ]15:00 [ソアレ]19:00
浜松Pops倶楽部
前売2000円 当日2500円 (1ドリンク付)

 

詳細・チケット予約
公演サイト https://maigo.link/koei/ 


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