■ お問い合せは劇団ウェブサイトお問い合せ】よりお願い致します。

フェイスブックツイッター友だち追加

なぜそんなにも後生大事にしているのだ

前作「おかしな朝」では主人公メメは”いい子”であろうとしていたが、それは劇団内外で出逢う20歳前後の者と接しながら強く感じて来たことだ。近年はその傾向をより強く感じる。


泣いてはダメ、怒ってはダメ、ねだってはダメ、間違いはダメ、失敗はダメ、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ……ダメ!いつも笑顔で、いい子、いい子。

 

いい子であること、それ自体をダメだとは言わないが、そこにしがみ付いて、それだけを「良または優とする」「認める」ではあまりにも窮屈ではないか?

 

良や優とされない、認められない感情を抑え込み、感情の起伏がより平坦になってゆく。楽しい、嬉しい。それさえも表現できなくなってゆく。狭い狭いふり幅の中で感情が硬直してゆく。そう窮屈なのだ。

 

なのにそれを「大人しいいい子」という者がいる。「落ち着いた大人びた子」という者がいる。それを”褒め言葉”と感じ、より窮屈な世界に自分を閉じ込め様とする者がい続ける。

 

きっかけは”ありふれた事”にあったりする。例えば……玩具を友人に取られ、壊され、それに怒り、叩いてしまった……それを強く叱咤られ「人を叩いてはダメ。暴力はダメ」だから次に玩具を取られた時は友人の玩具を壊す。そしてそれを強く叱咤される。「自分がされて辛い事はしてはダメ」ならばと自分の物を壊す、壊す、壊す。そして……「物に当たってはダメ」

 

ではどうすればいいの?人も、人の物も、物もダメ……何処にも発散できない感情。ずっとずっとこの中に?ううん、違う!怒りは持ってはいけないの!誰にも何にも見せなれないのだから……ううん、違う!怒りなんて存在しないの、しない、しない、しない。

一つの感情を抑え込めば、そのほかの感情も同様。都合良く「喜びはOK」「怒りはNG」とコントロールは出来ない……いや、心を丸ごと硬直させてしまう方がずっと楽。その上で、「受け入れられる感情のようなもの」を纏うほうがずっと楽。

 

それでやり過ごせる間はそれでいい。誰ともいつでも”心を開いて、嘘なく、仲良く”など無理は話。無理だからこそずっと唱えられ続けている。だけれど、ずっと聞かされているからそれが「正しい」になり、また自分を狂わせる。

 

「感情のようなもの」を纏い誤魔化している自分が醜く思え、そして生まれる自己嫌悪にまた自分が醜く思える。だからより一層の強い力で抑え込まないと……心を硬直させないといけない!隠さないと!隠し切らないと!!

 

心の奥底に”自分の真実”を隠し、ない、ない、ない。呪文を繰り返す。呪文が効いている内はいい。ただ成長と共にこれまでにない物事、人間関係、価値観に触れることになる。そして、不意に、本当に不意に呪文の効力は切れる。ただ切れて”自分の真実”に気がついても、それとの向き合い方など知らない。知らないから見ない、怖い、怖い、怖い。そんな怖い物を内に隠している自分は醜い、愛されるはずもなく……。

 

だから人とは交わらない。交われない。だから自分とは異なる価値観に触れられない。幼い時の幼い思考で導いた”答え”がいつまでたっても上書きされることなく、固定化されてゆく。「ダメなワタシはダメなまま」

 

自我の目覚め、自己矛盾、自己嫌悪……程度問題は別として、それらは珍しいことではなく”ありふれた事”。問題はそれらを”上手くやり過ごした”者たちにより支配されている点だ。学校が、職場が、社会が。だから当然の事として放たれる。「思春期だからね、大袈裟に考えることじゃない」

 

確かに!そうやって厳しい季節が過ぎるのを待つ事も一手。しかし、一手でしかなく、唯一ではない。アナタにとっての正解が、彼にとって、彼女にとって、ワタシにとってのそれとは限らない。迷い悩める者は”万人受け”の答えがほしいのではない。ワタシのそれが欲しいのだ。唯一。誰だって1/1の人生を生きているのだ。

 

そして”いまこの瞬間”が全てで、季節が過ぎ、華やいだ季節を知った者が振り返るのとでは見える風景は違う。それに時代も違う。”似ている”はあっても”同じ”はない。年功序列、終身雇用、右肩上がり、ジャパン イズ NO.1……そんなものは”昔話”。隣の人を思い合っている余裕を与えない時代。だから当然の事として放たれる。「そんなことは自分で考えなさい」

 

そして、いま”思春期の高齢化”が始まった。心身の成長速度からして違う時代に入ったのだ。しかし多くの者は変化に鈍い。いや、自分が経験したことでしか計れない。だから当然の事として放たれる。「いい年して何言ってる」

 

実年齢は関係ない。経験則が無いのだ。「あれもダメ」「これもダメ」「これにしなさい」「こうしなさい」と限定された生活を重ねても世界を広げることも、広い世界を自力で歩く事もできるようにはなれない。それらは本人の自由意志からの選択ではない。環境が、出逢ってきた大人たちが時に意図的に、時に無意識に、”いい子”を強要し続けて来た結果である。いつだって歪や過ち、その影響を最大限に受けるのは最小限化する術を持たない若い世代だ。

 

でも。でもである。あえて!だからこそ!言いたいのだ!

 

それを嘆いてばかりでも仕方ないだろ?お前はお前なりに必死で生きて来たのだ。生まれたばかりの赤子じゃない。学校や職場、そこに居る人の為の人生を生きているわけじゃない。親の為の命じゃない。その昔に感じた怒りや悲しみ。それは本物で、事実。否定しようはない。無かった事にもできない。でもだからっていまこの瞬間に振り返ってみれば違う風景が見えるではないだろうか?違う想いを感じる事があるんではないだろうか?

 

確かに怖いだろう。万人が万人、認めてはくれないだろうし、受け入れてもくれないだろう。でも決してゼロではないはずだ。世界は思っている以上にずっとずっと広い!いま隣にはいなくとも、ネット検索でヒットしなくとも、無いとは限らない。心から求め、探し回った時だけに見えてくるものがこの世にはある。小さな歩幅でいいから”そこ”から一歩足を出そう。少しからでいいから人に触れよう。言葉を交わそう。話をしよう。そして、小さな変化を受け入れて行こう。出来なかった事より、出来た事を数えよう。

 

その昔に感じた、受けた思いや言葉や感情。なぜそんなにも後生大事にしているのだ。いまを生きよう。そして生き抜こう。”明日のお前”がお前が来る事を待っているのだ。

 

 

 

時は流れた。時代は変わった。窓を開ければ新しい風が吹き込んでくる。それは新しい香りを運び、新しい朝を思わせる。刹那。それは古めかしい臭いとなり、消し去りたい昨日となる。そしてまた、新しい風を小さな部屋の中で待つ。もう終わりませんか?方法なんて知らない。結果なんて尚更。

 

それでもあなたが歩けば風が吹く。
本も人形も捨て去って。

 

あなたが走れば強く吹く。
こんな素敵な部屋を出て。

 

もう終わりませんか?
さぁ、始めませんか?
 


コメント
コメントする








   
この記事のトラックバックURL
トラックバック

calendar

S M T W T F S
      1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
30      
<< June 2019 >>

Related Sites

オフィシャルサイト


フェイスブック


ツイッター

selected entries

categories

archives

recent comment

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM