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電気じかけの・・・

昨日「DJ Plays"電気グルーヴ"ONLY」という5時間電気グルーヴだけを掛けるイベントの情報がTwitterで流れて来たので少しだけだけどYouTubeで観た。DJもこんな形でのプレイをする事は本意ではないなろう。客も。配信で観ている者も。(一部は単なるひやかしかもしれないが)しかし、過剰とも言える行動には強い反応を返さなければ"反論"として成立しない。そう言う意味でも今回の一件を招いた"罪"は大きい。誤解を恐れずに言えば、それは"法律に反した"以上に大きいと思う。

 

しかし此処でその罪を責めたいわけではない。というか、その資格は僕にはない。「電気グルーヴ」と聞いて頭に浮かぶのはShangri-La、かろうじてN.O.を知っているくらい…"ファン"ではないからだ。でも僕にもご贔屓のアーティストはいるわけで、そこからファンの想いを推し量ってみたいと思ったのだ。

 

出荷停止、配信停止、オークションサイトでの高騰(本当のファンならよほどの事情でもない限り今CDを手放さないだろう)・・・自分が好きな音楽を否定された想いではないだろうか?更にその音楽により時に励まされ、時に救われ、時に楽しみ、共に重ねて来た自分の日々を否定された想いなのではないだろうか?だから過剰とも言える行動には強い反応を返し"存在の証明"をしなければならないのではと思う者も少なくないのではないだろうか?

 

僕は尾崎豊のファンである。彼の曲はデビュー当時の物も逮捕後の物も、今も手に出来る。聴ける。ラジオやテレビでだって流れている。きっと時が来れば電気グルーヴの音楽も同じようになるだろう。「時代が違う」と言う人もいるかもしれない。そう。法律に反した事に変わりはないが、時代が違うだけで反応は違ってくる。誤解を恐れずに言えば"絶対的悪"ではないのだ。時間や場所が異なれば合法・非合法の判断やその重さも変わって来る。さらに言えば法律的な"正しさ"だけがこの世界の"正しさ"の判断基準ではない。むしろ"独自の判断基準"をもって"芸術"は存在し、それ故にある一つの"正しさ"のみを押し付けられた中で息詰まっている者を解放できるのだと思う。

 

「DJ Plays"電気グルーヴ"ONLY」を観ている時、流れて来るコメント中に彼らの音楽によって解放された人々の姿を見れた気がした。彼らが作って来た物が単に「消費される商品」ではなく音楽であり芸術であり、彼らは真に"アーティスト"。それ故に彼らの作り出す物は、ある者にとっては全くの無価値であるが、ある者にとっては数字では表せない価値を持っている物でもあるのだ。そう言うものは、時代を越え存在し続ける。それを"本物"と呼ぶのだろうと思う。

 

そんな作品がある限り、それを支持する者がある限り、大丈夫。芸術は死なない。そう思えた。ありがとう!「DJ Plays"電気グルーヴ"ONLY」&電気グルーヴFUN!

 

(裁判で確定しない以上は推定無罪ですが、本人が認めているという報道に沿って"法律に反した"と書かせて頂きました)


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