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"同じ"苦労はするな!

5月18日の短編作品中【回転木馬の残光#3】に向けて劇団員に自分以外の出演者紹介をツイッターに書くようにオーダー。それが出揃った。「嗚呼なるほど!」と思わず膝を打ってしまう物はほとんどない。どれもこれも似ている・・・ならまだしも、紹介される側より、する側が書かれている。

 

人は自分を紹介しようとすると「好かれたい」とか「嫌われたくない」とか「笑われたくない」とか「のけ者にされたくない」いう思いから慎重になり、言葉を選び、加減し、結果として自分ではなく「自分に近い者」または「遠くはない者」紹介したり、時に「真逆の者」の時もある。しかし、他人について・・・面と向かって当人相手ではそうはいかないが第三者となると、その慎重さが和らぐ。結果、ありのままを話す。この時に自分が出るのだ。「憧れ」「尊敬」などと言う言葉を使いながら自分を語り、その裏にある「嫉妬」「嫌悪」「孤独」を露わにする。

 

しかし今回はその「無意識に自分を語る」を目的としたわけではない。以下に「自分が相手を知らないか」を知る為だ。

 

知らない相手を語ろうとすれば、その概要、視覚で把握できる事しか語れない。または誰かが言っていた事。つまり、個人として個人を見ていない結果である。自分だからこそ語れる"その人"ではない。そうなれば、当然"その人"でなくとも語る事の出来る自分しか出てこない。これは大大大問題なのだ。他人への興味、もっと言えば自分と言う世界の外側への興味が薄いのである。だから概要を知っていれば事足りてしまうのである。今回の紹介文を書く事に苦悩したかも知れない。それを文章が苦手とか語彙力の問題にしているかも知れないが、書くべき相手の書くべき事を知らない・・・興味を持って接して来なかったからなのだ。

 

あまりにも「自分を知ってもらう」ことを望み、相手を知ると言う"双方向"な想いがないのである。その要因は色々あるだろう。自分だけの問題でもないはずだ。それでも・・・同じ劇団に属し、共に作品を作る相手・・・知らない、興味ないでは・・・もはや其処に居る意味がない、のである。

 

とはいえ、これは想定内。いくら口で言っても、繰り返しても、理屈で理解しても、出来るようになると言う話ではない。よくわかっている。いわゆる「いつか来た道」だからだ。険しい道だとこの身を持って知っている。だからと言って「同じ苦労をしろ」とは思わない。同じじゃぁ、出逢った意味がない。伝えられる事は伝える。苦労するならもっと別次元のところで苦労して欲しい。なのにだ。なぜ同じ道を歩もうとするのだ。もっと見ろ!知れ!自分だけではないのだ。答えやルートは自分の外側にあるんだ。そして、それは遠くにではなく、いつだって目の前にあるんだ。


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