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一人と言う幻影〜一人芝居を終えて

"ぼっち"企画、初の一人芝居集【孤影と接吻】から一週間。ようやくこの想いをまとめられたので記す事にする。

 

『劇団員(元劇団員)に向けた・・・』という言葉を貰った。そんなつもりはなかったが、思い当たらなくもない。誰もいない稽古場では「向き合う誰か」を作りだす必要がある。○○さんとはならなくとも△△な人・・・自分の中に実像があるから思い描ける。全くの架空ではなく実態を知る者だ。

 

ここ数年生活範囲が狭くなり、視野が狭くなった自分では(詳しくは公演パンフレットを)その人物は自ずと「近い人」になってしまう。そこにはもちろん劇団員がいる。劇団から離れて・・・それを望んでの企画ではあったが、劇団を完全にナシとして今の自分が成り立つはずもないという現実もある。それを痛感した。自意識よりも作品を通して観客が感じ得た事の方が遥かに的を得ているものだ。

 

作品には自分の真実が投影される。仮にそれに抗ったとしよう。そして、それが出来たとしよう。それは「作品」ではない。少なくとも僕はそう呼ばずにこう呼ぶ。「ただの嘘」と。演技は嘘をつく事、上手な嘘。と表現したりする者もいるが、観る者は「嘘」では心を動かさない。表面的な(セリフ、舞台装置、照明、音響・・・)に嘘=(現実でないモノ)があったとしても、舞台に居る者の中に「真実」がないと観る者は心を動かさない・・・どころか、目を向ける事もない。

 

今回は一人になり120%の自分で作品に挑む事にしたのだから、自分が、その真実が現れるに決まってる。その一つが冒頭の言葉と言う事になる。ただ観劇は個人体験でもある。観る者の持っている情報、置かれている環境、纏っている日常、その日の体調・・・個々に異なるそれらを用いて、影響される。当然に感じ方も変わる。

 

冒頭の言葉は一つの真実ではあるが、だからと言って「好ましい」とは思っていない。そう言われた、その程度だった自分に失望もしている。だからそれを越えたいと思っている。その為により多くの人と、向き合いたいと思っている。生活の中でも、稽古場でも、劇場でも。

 

ツイッターで「新規の観客を得て行く為には・・・」みたいな方法論的な、思考のメモ的な物を見た。広報担当なら積極的かつ適切な情報発信や割引やグッツなどの仕掛けに興味が向くかもしれない。短時間動画とかも。しかし僕は創作者(それも不器用で頑固者)なので、「今どき感」を前面にスマートに・・・と打って出られない。いや出たくない。(天の邪鬼って言うのを付け忘れてはいけない)ならばそうする?答えは単純明快。作品を持って外に出る。観る者が待っているであろう、そうであろうと信じる地へ「外回り」に出るのだ。・・・などと思い、嗚呼やはり!と、認めないといけない真実に出会う。

 

僕はプレーヤーであり続けたいのだ。


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