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表現の自由さ

『予め用意されている自由』と『何かしらの抑圧の中から飛び出してきた自由』では性質が違うな・・・なんて事をぼんやり考えて居た時に【表現の不自由展 その後】のニュースが流れて来た。

 

以降、「自由」について考えるとそれは「表現の自由」について考えるになり、それは行ったり来たりな状態でなかなか先に進まない。しかし、このままフェードアウトは最も避けたいので、ここで"現在地"を記して置く事にする。

 

あいちトリエンナーレ自体はこのニュース前から知ってはいた。今は閉じたがツイッターの個人アカウントで津田大介氏をフォローしていたからだ。またラジオでもトリエンナーレついての情報に触れて来た。その時は多くは「出展者の男女比を同じにした」といういわゆるジェンダーに関する事柄が多かったが、いよいよ開催を迎えて・・・となっての今回のニュースである。ちょっと虚をつかれた。嗚呼、アカウント閉じなければよかった(笑)

 

芸術監督が芸術畑の者でなくジャーナリストという点は"違和感"と共に"独自性"を期待させるが、同時に"方向性"を事前に明示してしまう危険もある。特に津田氏の場合はその"色"は濃く示す矢印は太い。そう言った予断が生じるのは充分に想定できる上で【表現の不自由展 その後】を企画したのだから、津田氏や実行委員会の方々の覚悟は疑いたくはない。そこを疑う事は、芸術や表現に対する覚悟を持ち合わせなくともその地位に付ける、またはつかせてしまうというこの国の芸術や表現に対する無覚悟いや無関心を感じてしまう・・・それは余りに辛く哀しい。なので僕は「津田氏に覚悟がなかった」という種の批判はしない。僕は津田氏を批判するのであれば、それは『なぜ自分の"色"を"利用"しなかったのか?』という点だ。

 

今回の件で最もクローズアップされている少女像は作品タイトルがどうであれ、作者の意図がどうであれ、韓国国内はもちろん世界中の多くの場所に同種の像があり"戦時下における女性の人権蹂躙"を訴え、更にこの国では"従軍慰安婦"に関する韓国側の主張の象徴として認知されている。像の横に置かれた椅子に座る事で、またはその空いた席を見つめる事で、それまでの認知とは異なる一面を感じて貰えると信じての展示だったのだろうが・・・像の"色"もまた濃かった。

 

芸術監督の色、像の色、その他の作品の色、それらが相乗効果により一層色を濃くしていったのだろう。芸術イベント自体が独自の色と濃さを持つのは問題ではないが、観る者はそれぞれの営みの中で、情報に触れ、体験をし、想いを抱き、知識もあれば、先入観もある。会場外で既に感じている(感じる事が出来る)色をただ濃くするだけでは「独自の色」ではないし、観る対象の既存の色が濃ければ濃い程、それらを越えて異なる一面を感じさせる事は容易ではない。

 

異なる一面を感じさせる事は既存認識を壊す事である。にも関わらず既存認識をより強固にするような作品群なってしまった。その事が今回の問題の論点の一つである「あれは芸術か?政治活動か?」を生じさせたと感じている。仮に「津田大介」と聞いて思い描く"色"とは"異なる色"を持った作品が数点(もしかしたら一点でもいいのかもしれない)あったとしたら・・・どうだったろうか?(展示作品の選定は芸術監督でなく実行委員会が行ったらしいが、観る者にとってはどっちでも同じだ)「芸術監督がジャーナリスト」と同じように"違和感"を感じたのではないだろうか?そこに色濃い既存認識を越える"独自性"を感じる事が出来たのではないだろうか?作品を介してその場で思考と議論が行われたのではないだろうか?そして、それが意義ある事であればある程、思考と議論は会場の外へと飛び出し、社会に広がり、あらゆる"色の存在"に人々が目を向ける事になる・・・それこそが芸術ではないだろうか?

 

「自分の色を出す」と言う表現があるが、単に濃くするより反対色を使う事の方がはるかに効果的な場合は少なくない。一方で"多様性"を訴える津田大介氏であれば多様な"不自由"に目を向けて”自身の色"という"不自由さ"を越えて”表現の自由さ”を示してほしかった。残念である。

 

しかし、最も残念な事は・・・

 

「表現の不自由」を考える趣旨から言えば今回の中止は、それはそれで意義があった・・・という意見も読んだりしたが、それは違うだろう。展示中止を受けた作品を集め、中止になり、ね、不自由でしょ?では、それこそ既存認識のままだ。それこそ公金をどぶに捨てる行為だ。ましてや脅迫が中止理由なのだ。「ね、不自由でしょ?」では済ませてはいけない。

 


最初にも書いたが、まだまだ思考途中。いま考えているのは『"政治的言論の不自由"に対する意趣返しの道具にならない為に芸術が果たすべき事とは?』である。僕の様な無名な者が何かを考え、何かを言って、何かを行っても、大した広がりは無い。しかし無関心でいられるほど"勝手な"人間ではない。


 


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