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たまには純粋な愚痴を

この週末幾つかお誘いを頂いたが、どれも受ける気なし。何をするにしてもお金がかかる。それを費やす価値があるのであればいちいち細かい事は気にしないタイプだが(少しは気にしなさい。給料日前に困ります)、その価値が見いだせない。「いろいろあるし、行った方がいいかな」と算段してしまう。そして算段して逢う仲ではない(と思っている)ので、受けない。行かない。今は「<お金」なのである。

 

なんでもかんでも「コロナ」のせいにして根本的な問題点を見失いたくはないが、「もっと演劇に時間を!」とのおもいから今年初めに仕事を変え。ライフスタイルを変えた。これが裏目に出た。多分、経済的には変えない方が安定していた。時間も取れた。どうにか今週くらいから微調整に入り、来月には「当初の予定」に近づくだろうが、肝心な「演劇時間」が取れない。というか、公演がね・・・。

 

公演が思う様に打てないのには金銭以外にも人員の問題もある。20周年記念公演以降退団が相次ぎ、昨年には3名に戻った。自主公演を打つとなると外部から招く必要がある。もともと交流の少ない迷子の遊園地、しかもコロナ禍、声をかけるのもままならない。新たな団員も入って来ない。(本気で探せ)

 

場所の問題もある。「もっと演劇に時間を!」は「浜松以外で公演を!」と同意で、静岡市など県内はもちろん(嗚呼、東部に行きたい!)お隣豊橋市や京都、大阪の関西圏、もちろん東京へ再びとも思っていたが、今はちょっと難しいと思ってしまって動けていない。

 

ではせめて市内で!となっるのだが、何処で?となる。「今までやっていたところは?」と思うかもしれないが、今は「劇場」でやりたいのだ。「演劇を上演すればそこが劇場」という思いから施設の分類として劇場でなくても公演をして来たが、今は分類としての劇場でやりたいのだ。帰りたいのだ。

 

ないよね、浜松って・・・となってしまう。

 

ああ、いっそのこと時流に逆らない東京にでも移住しようかな。

 

ないよね、お金が・・・となってしまう(笑)

 

ならいっそう、朝から晩まで身を粉にして働いて「人生、お金」と言い放って生きて見るか!と考えてはみる。コロナ禍だろうがなんだろうが人手がなく、働ける場所はある。(提供する労力と給与が見合っているかは別)それも悪くない。悪くないが「どうしたの?」と言われると「コロナでね」と言ってしまう。そのせいではないはずなのに。だから、いまその選択はない。

 

演劇を辞めるも同じで「なんで?」と来かえると「コロナでね」と言ってしまうだろうし、勝手にそう思われるだろう。それは嫌なのだ。辞めるチャンスはいくらでもあり、それでも人生の半分以上の関わってきた来たものを自分の納得や限界とは全く違う要素で終わるのは嫌だ。もちろん、人生なんてそんなもの。不条理。と知ってはいる。それでもここまでそれを"無視"して"大人"にならないで来たのに…46歳という何とも半端な時にそれはしたくない。「なら30歳の時に」と人生を悔いてしまいそうだ。

 

・・・と、書いていたら何を書こうとしていたか忘れた。「ま、いいか」・・・何も"解決"はしないけど。


うっとうしくて、うんざりな我が演劇人生

「孤影と接吻#4」が終わりました。ご来場いただいた皆様(#3より多かった!)配信ご覧いただいた皆様(#3よりちょっと少なめ)、ROBANOMIMIさん、心より感謝です。

 

 

44歳の誕生日の時(2年前)にも公演をしましたが、やはり誕生日というより公演日という感覚が圧倒的で「今年の誕生日来た?」って感じです(笑)もし誕生日を「祝ってもらいたい」のならパティーを開くに限る。ただ自分が今あるのが多くの人たちのお陰だと実感し、感謝する日としたいのなら公演を打つもいいでしょう。

 

昨日は家に帰り、差し入れの(誕生日プレゼント?)のビールと日本酒を飲んで、ほろ酔いでギターを弾いて、これまでの演劇人生、その様々な景色と感情が込み上げてきました。

 

何かを成し遂げたわけでも、認められたわけでもなく、誰かを育てたわけでも、残せたわけでもない演劇人生。終わる事からも立ち向かう事からも逃げて来た演劇人生。昨日の作品の中に書いた台詞『辞めりゃよかったんだよ、東京から逃げて来た時に。死ねばよかったんだよ、東京で不覚悟を知った時に』ずっとそう思いながら続いて来たうっとうしくて、うんざりな……中途半端な演劇人生。それが「私」の人生なのだと。

 

アフタートークでも言いましたが、「私」を書いた三作品(この手で触れて・むだつかい・てふり)を通してようやく自身の嫌いな部分、認められない部分を晒せたと思っています。やり切れた!と言う感じはないのですが、ここまでこれたと……若かりし頃の不覚悟と不義理。嗚呼、やっと贖罪の時が来た―そう思っています。

 

これからはオリジナル台本を書きません。公演をするのであれば既成台本か二次創作的な作品になります。しかしいま現時点で明確な構想はなく、従って次回公演までは時間が開くかと思います。それでもいつかその日は来ます。来ると信じて生きます。その日まで、皆さまもご自愛ください。

 

それではひとまず『さようなら』

 

追伸:「私」を昇天させる為に三作品の台本、動画を公開するつもりです。


やりたい事

「役者をやりたい」と、自分が再び思うなんて想像していなかった。だから、なかなか素直にそれを認められなかった・・・というか、気付けなかったのだろう。ハッキリと意識したのは・・・いつだろう?2018年の東京公演「離々として連々」に出演すると決めた時だろうか?その公演を終えた後だろうか?

 

とにかく、その公演以降に「孤影と接吻」というタイトルで一人芝居を始めた。一回目は"ぼっち企画"として当日の運営まで一人でやった。二回目は劇団所属のさおりと同台本を元にした"対決"。これを機に「孤影と接吻」を藤田ヒロシVS○○○という企画にしようと思っていたが、この感染症騒動。人に声をかけづらくなったので三回目はまた私の一人芝居集に戻った。そして、今週末に4回目を行う。

 

毎回二本の短編を上演するが一回目と三回目はその内の一つが『1974年、昭和49年8月30日・・・』という自身の生まれた日の話から始まる私自身の話である。一回目では父と対峙し、三回目では母と対峙した。そして今回も私の話を上演する。対峙するのは・・・今回は身内ではない。でも親と同じくらいに人生において影響力を持つ立場の者と対峙する。そして、今回初めて自身の生まれた日の話から始まる私自身の話をその生まれた日に上演する。いいきっかけの様な気もする。

 

「もうオリジナル台本はやめよう」

 

役者をやりたくなったのは、演者として他者と向き合い変化・創作していく事が楽しかった。それ以外にも逢ったのだと思う。劇作から離れたかったのだろう。でも、なかなか素直にそれを認められなかった・・・というか、気付けなかったのだろう。自分が本当にやってみたいと求めていた事に。

 

新型コロナ、自粛期間・・・私も朗読を配信した。自身の言葉ではない文字を発した。それは難しく、楽しい。"昔読んだことある"程度の作品に再び触れると記憶の片隅にあるそれとは全く違う景色が見えたり、時間や場所を超えた普遍を感じたり・・・音と声、声と想い、そんな違いについて考えさせられたり・・・いい時間だった。いや、いい時間だった、にしたい。

 

「嗚呼。これがやりたいんだな」

 

と、数週刊前に不意に気が付いた。それが何かは具体的に作品や公演と言う形にする算段出来てから明らかにしたいが、いま言える事は・・・「孤影と接吻」の四回目。これが自身のオリジナル台本を自身で演じる最後である。と言う事。

 

46回目の自身が生まれた日。終わりと始まり。待ち遠しい。


好きな事をするは嫌われる

ここ数年間に出逢った20〜30歳位の者、その多くに共通しているのが「好きたい事をやっていない」だ。中には「好きな事、やりたい事」を持っていない者もいた。話をしてみると異口同音に「好きな事をやっても生きていけない」と言う。

 

不景気、デフレ、上昇しない個人所得 ― 失われた20年の中で生まれ育ってきた彼・彼女たちが見ている現実は、私がその歳に見ていたそれよりもずっと厳しい。狭い。仄暗い。だから彼・彼女たちを私視点でどうこうと評したところで時代錯誤の全くの的外れになるかも知れない。だから、評する為にこれを書いているのではない。

 

「好きな事をやっても生きていけない」

 

似たような事をその昔聞いた事がある。私がこれまでに一度だけ出席した事がある同窓会でだ。私は高卒で演劇の道へ進み大学へは行ってはいないが、同窓生の多くは当時大学4年生だった。そして「氷河期第一世代」であった。皆の話を聞いていると「やりたい仕事につく」というより「入れる会社に入る」という選択だった。「お前みたいな生き方がいいな。好きな事やって生きて」と、同窓生の一人に言われた。

 

時はバブル景気。親の所得が増え、大学進学も上昇。第二次ベビーブーマーだから数がいる。それを受け入れる為に新設大学が雨後の筍ように生まれた。だから多くが有名無名に関わらず大学へと行った。教師の多く、同窓生の多くが私もそうするのだと思っていた。だから言われた「なぜ?大学へ行かないの?」と……。

 

別に学歴の話をしたいのではない。話したいのは……「好きな事をやっても生きていけない」についてだ。人生の分岐点でそう思って道を決めた者は少なくないのだろうと思う。言い換えれば「好きではない仕事に従事する」という道を歩んでいるということだ。

 

もちろん進んでみたらみたで楽しいさの発見があり、面白さに気が付き、好きになると言う事もあるが、時は不景気。悠長なことは許してくれない。数字、結果、成果……ギスギスしている。それでも多くの人は、それを受け止め、必死で生きている。それが社会人の姿であり、生きる事。だと思っているとしたら……。

 

「お前みたいな生き方がいいな。好きな事やって生きて」

 

それは本心だろうか?嘘ではないだろうが、羨んでいるわけではないだろう。好きな事をやれてはいない者とやれている者。その間には何が生まれるのだろう?

 

コロナ禍で芸術分野に従事している者への風当たりが強くなった。先日「芸術って金持ちの道楽とでもおもっているのかしら?」というツイートを見た。発したのは音楽をやっている者。決して遊びでやっているわけではない。しかし金持ち云々は別として「好きな事をやっていない」者からしてみれば「好きな事をやっている」というだけで道楽なのだ。

 

なにもそれは芸術だけではない。スポーツだって同じだ。特にプロ化していないマイナースポーツなどは学生と言う身分でなくなると活動は難しくなる。この国では学生ではない年齢になって「好きな事をしている」は社会人のあるべき姿ではないのだ。国の経済発展に寄与していない"怠け者"なのかもしれない。少なくとも嫌われる対象となりうる。コロナ禍になったからじゃない。ずっと嫌われる対象であったのだ。その自覚ないまま「好きな事をしている」と更に嫌われ「自分は特別だと思ってるのか」と言われたりする。

 

それでも私は思う。「好きな事をやっても生きていけない」は間違っている。正しくは「好きな事"だけ"をやっても生きていけない」だ。どんな生き方を選ぼうと、楽な事はない。ただ好きな事を持つ事で、幾つかの困難は以外にも簡単に越えられ、一人で越えられない時にはヒントをくれる者に出逢う事も出来る。そして人生にとって仕事とお金は重要だが全てじゃない。好きな事は仕事である必要はない。

 

できれば、アフターコロナの世界は「好きな事を続ける」が嫌われない世界……つまり様々な点で豊かになって欲しいが……まだまだ嫌われ者であると言う自覚は持っていないとならないだろうな、とも思う。


 


誕生日に誕生日の話を上演します【孤影と接吻】#4

今度は藤田ヒロシ誕生祭

 

【孤影と接吻】#4
2020年8月30日(日)
多国籍料理レストラン&カフェROBANOMIMI

START 15:00

料金 2000円(+1オーダー)

 

※入場数制限あり(15名)
※上演時間100分 → 60分程度(換気休憩・アフタートーク含む)
※上演後アフタートーク予定


会場内に迷子の遊園地・役者 さおりの絵画作品を展示

 

出演:藤田ヒロシ
協力:迷子の遊園地

 

チケット予約・お問い合せ https://maigo.link/koei/

 

今後の新型コロナウイルス感染状況により変更が生じる場合があります。その際は速やかに更新してまいります。

 

 

上演予定作品

「手、振り」
お箸は右。右はお箸を持つ方……それには当てはまらない10人に1人の存在として生まれた私。思うように動かない手で描く絵が楽しいわけがない。この世には右と左がある……のではなく、右か左かがあるだけだ。 ― 「私」の原点、第三弾

 

「こころね」
コロナ禍の当初に書いた詩を元に「今の率直な想い」を語る


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